恵比寿鍼灸整体院さかい
院長 酒井 美穂
ごあいさつ
はじめまして。数ある治療院の中からこのページをご覧いただき有難うございます。以前広尾と目黒で勤務していたため、なじみのある恵比寿で開業いたしました。周辺で美味しいお店を探すのがちょっとした楽しみです。
治療家になり今年で27年が経ちました。学ぶことが大好きなので様々なセミナーや勉強会に参加し、日々技術や知識を更新しています。その中で最も相性の良い4つの技術を組み合わせた唯一無二の施術でご縁ある皆様の健康をサポートいたします。
資格
経歴
趣味
料理 読書 音楽鑑賞(特にチェロが好きです)SUP シュノーケリング 凧あげ 食べ歩き
今年は踊れる治療家を目指しサルサを習う予定です(笑)
子供の頃はこんな子でした
群馬県前橋市出身です。3900gのビックサイズで産まれました。
その大きさとおじさんのようなルックスで会う方みんなに男の子と勘違いされたそうです。
幼稚園、小学校と読書以外はほとんど勉強せず木登りや川遊び、当時はローラースケートが好きで、とにかく外でよく遊ぶ子供でした。また3歳からピアノを習い始め、音楽を聴くことも好きでした。
そして小学校低学年の頃から両親や祖父母の肩もみをしていました。『有難う』と喜ばれると嬉しくて、更に工夫して上手になりたくなる。この気持ちは当時から今も変わらない私の原点です。
14歳、進路を決める
中学生になり、自分の将来を考えるようになりました。
父も母も仕事を持ち、自分の仕事を愛している姿をいつも見ていて、私も一生をかけて取り組める仕事がしたいと考え、医師になろうと決めました。
とにかく沢山の人の役に立ちたい、そんな思いからでした。
医学部受験にはとにかく勉強!ということでそこから夢に向けて全力で勉強するようになりました。
無事に希望する高校に入学し、同じ夢を持つ友人達に出会い、その後も勉強を続けました。
部活動は地学部に所属して太陽や星の観測をしたり、生徒会役員、文化祭実行委員など高校生活も大いに楽しみました。
18歳、再度進路を考える
高校3年生の夏、相変わらず医学部受験を目指し日々勉強をしていました。
ちょうどその頃体調を崩した祖父が高校近くの病院に入院したので近かったこともあり、度々病室をお見舞いに訪れていました。
健康そのものだった私は通院経験がほとんどなく、お見舞いついでに未来の職場見学のような気持ちで病院内を見回しました。病院というのは患者さんの病気を治して元気にする場所だと思っていた当時の私にとって、想像とは違ったものでした。
そこで私が感じたことは、生きていることは素晴らしい、でも健康なまま生きていけたら、もっともっと素晴らしいのではないか?という事でした。病気を治して毎日楽しく自分の力で歩いたり好きなことをして過ごす、これが患者さんの一番の希望であり、これを叶えるにはどうしたらいいのだろう?当時の私の出した答えは、病気になってしまいそうな時にひどくなる前に治すこと、そうして健康寿命を延ばすことでした。
東洋医学には未病治という言葉があります。「病気になってしまう前に養生をして、健康な状態を維持する」という考え方です。私はこの考え方に共感し、鍼灸師を目指すことにしました。
その夏に読んでいたサリンジャーのライ麦畑でつかまえてという小説のように、私も病気という崖に落ちる前にその人を助けられたら、と想像しました。
当時は鍼灸の大学、かつ研究機関と附属病院で西洋医学の基礎が学べる学校であった明治鍼灸大学鍼灸学科(現明治国際医療大学)に進学し、治療家の道をスタートしました。